孤独な隕石
GALLERY TRAXで先日まで開催されていた展示『坂口恭平/隕石たち』。
坂口さんがこの世界に生み出した小さな隕石たちは、
ヘンテコなバランスで、だけどそれぞれが堂々とした自由を持っていました。
↓手前から2番目の絵に一番惹かれました。
(↓26歳ある日の日記)
人と人はそんな中で、小さな思いやりを持って生きていく。Yさんは羊羮をおみやげに買ってきてくれて、お昼ご飯をご馳走してくれた。Nさんがつくったご飯の余りを私は今朝食べた。これは余ったのではなく、余るようにつくってくれているのだと思う。「5年くらい経ったらどうにかなってると思うから、あんなこと言ってたなぁって懐かしむ日が楽しみだな」と、私などの今について未来で振り返ることをあんなに素敵なIさんが楽しみだと言ってくれる。
私は私で、「これはあの人が好きそうだな」とか、いつも誰かしらのことを頭に浮かべている。人は孤独な生き物らしいけど、だからこそ真の孤独にはきっともうなり得ない。(略)
(↓次の日の日記)
ともすると、「死にたい」というのは「大金持ちの家に生まれたかった」と言うのと変わらない夢物語な気がしてくる。坂口恭平さんが「生きるとは死ねない環境をつくること」と著者の中で述べていたけれど、本当にそうだよなぁと思う。
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↑これは26歳のうちに感じたことを残しておかないといつか忘れてしまうのかなという勿体なさと27歳を迎える憂鬱さに駆られてたまに書いていた私の日記の一部。内容は前向きだけど、根暗ですね。笑
つまり、生きるのは大変で死ぬのは簡単かもしれないけれど、もう生きていくしかないのです。
躁鬱を繰り返している坂口さんは、環境と芸術に生かされているのだと思います。
何を感じて何をつくり出すのか。これからもとても楽しみです。